アファーマティブ・アクションと男女共同参画社会

 アファーマティブ・アクションというのは、社会的に弱い立場にいる人たちを優先的に採用、昇進させることによって、中長期的な差別や格差の是正を目指す措置のことをいう。具体的には、人種や民族、あるいは出自など、本人の意思や努力にかかわらず、社会的な地位向上が難しい場合、政府や企業、あるいは学校の採用・合否を他よりも優先させる。たとえば、入試で合格点ギリギリの受験者が複数いたとして、最初に合格判断が下るのは社会的弱者とされる人になる。

 同じように、女性の社会進出を拡大させる目的でも、アファーマティブ・アクションが講じられることも多い。大学などの研究機関でも、同じ程度の業績をもった複数がいた場合、研究者として採用するのを女性優先とすることがある。

 こうした差別や格差是正措置は、主に欧米において行われている。一方、日本ではそれほど行われてこなかったけれども、近年になって特に女性を優先して採用・昇進させることを、「ポジティブ・アクション」という言葉を用いて進めていこうという動きもはじまっている。

 対象を「弱者」と捉えれば、こうした是正措置は全体としてみた場合、悪くないように思える。しかしながら、実際はそれぞれ個人がふるいにかけられるというわけで、それに不公平感を抱いたり、納得できなかったりする人もいるだろう。

 もっとも、学業をする環境はお金も手間もかかるわけで、そうしたものに恵まれたAと、そうでないにもかかわらず同じだけの成績や業績を残しているBを比較すれば、Bのほうが成長する可能性は高い、といえるかもしれない。ただし、Bは研究職や総合職になっても、たとえば育児や介護に時間をとられ、Aと比べて満足に研究や仕事に打ち込めないかもしれない。

 このように、議論をしても私たちが納得できる結論に達することは難しい。したがって、アファーマティブ・アクションにせよ、ポジティブ・アクションにせよ、疑問や批判はついて回る。

 私たちは、一般的に「機会の平等」は望ましいけれども、「結果の平等」はモラルハザードを招きやすいと忌避する傾向にある。この指摘は確かに正しい。なぜなら、何のハンデも持たず、同じスタートラインに立たせることではじめて競争が成り立つのであって、足の速い子も遅い子も、真面目な人もサボっていた人も、同時にゴールさせるのはそれぞれの個性や能力を無視する悪平等といえるからだ。

 しかし、実際に同じ場所からスタートしても、走っているときに能力を生かせない、文字通り足を引っ張る要因があるという場合はどうだろう。アファーマティブ・アクションポジティブ・アクションは、このように機会の平等以上の是正を進めるものではあるけれども、いわば競争に参入しやすい環境の一環として機能しているようにも思える。

 もちろん、それ単体で差別や格差が是正されるわけではない。女性の場合であれば、妊娠や育児のハンデがあり、家事や親の介護などの役割分担も現状では大きい。こうしたものをどのように改善させ、社会的にも認知していくかも重要だろう。夫など、男性の協力や保育所、託児所、シッターや介護施設を利用しやすくすることとセットになってはじめて、共同参画社会が近づく。

 そして、将来的に男女の差別や格差が問題ならないほどに小さくなれば、こうした是正措置も撤廃させる。アファーマティブ・アクションポジティブ・アクションは、その制度自体の評価はともかくとして、そのようにせざるを得ない、いまの社会に問題があるという認識を広げる意味では効果があるように思われる。

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男女平等の理念のもと「女性を優先して採用」例も